介護職員の離職。この問題を「給料を上げれば解決する」と思っている経営者・HR担当者は少なくない。確かに処遇改善加算(国が介護職の給与水準を上げるために設けた補助制度)の拡充は重要だ。しかし現場の実態を見てきた人間として言えるのは、離職の引き金のほとんどは「お金」ではないということだ。
公益財団法人介護労働安定センターの調査によると、介護職員が離職した理由の上位は「職場の人間関係」「法人の理念・経営方針への不満」「仕事の内容・やりがい」が並ぶ。「給与・処遇への不満」はそれらの後に来る。つまり、職員は「感情的な理由」で辞めていることが多い。
では、どうすれば感情的な離職を防げるのか。今回紹介するのは、3年間で離職率を22%から9%まで下げた、ある介護施設グループの取り組みだ。特別な予算をかけず、制度を根本から変えたわけでもない。施設長と主任が「関わり方」を変えただけで、数字が動いた。
業界全体の離職率は15.4%(介護労働安定センター調べ)。特養・老健などの入居型施設では20%を超える事業所も珍しくない。採用コストは1名あたり平均40〜80万円と言われ、離職が続くほど経営を圧迫する構造になっている。
多くの施設が間違えている「定着対策」の落とし穴
離職率が高い施設の多くが、まず「採用を増やす」方向に動く。求人媒体への出稿を増やし、紹介会社を使い、採用イベントに参加する。確かに短期的には人員が補填される。しかし根本の問題を解決しないまま採用を繰り返すのは、穴の開いたバケツに水を注ぎ続けるようなものだ。
次によく行われるのが「制度の整備」だ。有給取得率の向上、育児・介護との両立支援、研修制度の充実——これらは必要なことだが、「制度があること」と「職員が職場に居続けたいと思うこと」は別の話だ。制度を整えた直後に離職が続く施設を、私は何度も見てきた。
では何が足りないのか。答えは単純だ。「自分はここで必要とされている」という感覚が、職員に届いていない。
制度は「環境」を整える。しかし人が職場に留まる理由の多くは「関係性」にある。自分の意見を聞いてくれる上司がいるか。成長を認めてもらえているか。困ったときに相談できる仲間がいるか——これらが揃っていない職場からは、どれだけ処遇を改善しても人は離れていく。
「採用コスト増大 → 採用強化 → 定着しない → また採用」のループに入っている施設は多い。抜け出すには、採用の前段階——在職中の職員が「なぜ辞めるのか」を直視することが先決になる。
離職率を下げた施設がやっていたこと①——「不満の見える化」
最初の一手は、地味に見えて最も効果的なものだった。月1回、全職員に対して「匿名の不満アンケート」を実施するという取り組みだ。
内容はシンプルだ。「今月、仕事で困ったことを1つ書いてください」「改善してほしいことがあれば書いてください」の2問だけ。紙で配り、施設長が直接回収し、翌週の朝礼で「こういう声がありました。こう対応します」と読み上げる。
最初の数か月は「業務の無駄が多い」「申し送りに時間がかかりすぎる」といった表面的な内容が多かった。しかし半年が経つと、「Aさんとの関係が辛い」「休憩が取れない日が続いている」「サービス残業が当たり前になっている」といった、深層にある不満が出始めた。
施設長がここで取った行動が重要だ。「読み上げる」だけでなく、「その週のうちに何らかの対応をする」というルールを自分に課した。100点の解決策でなくていい。「来週、業務フローを見直すための打ち合わせをします」という一言でもいい。「あなたの声を聞いた」という事実が、職員の信頼を積み上げていった。
| 定着対策 | Before(導入前) | After(1年後) |
|---|---|---|
| 職員の不満把握手段 |
BEFORE 退職時の面談のみ(手遅れ) |
AFTER 月次匿名アンケート+週次朝礼フィードバック |
| 不満への対応速度 |
BEFORE 半年〜1年以上かかるか、放置 |
AFTER 1週間以内に何らかのアクションを報告 |
| 職員の「聞いてもらえている」感 |
BEFORE 満足度調査なし・体感で「低い」 |
AFTER 半年後の調査で「職場への満足度」が18pt改善 |
| 1年以内の離職者数(施設全体) |
BEFORE 年間8〜10名(職員40名規模) |
AFTER 年間3〜4名まで減少 |
この取り組みに予算は不要だ。必要なのは施設長の「聞く覚悟」だけだ。不満を聞いた後に動かなければ、むしろ「言っても無駄」という絶望感が加速する。だからこそ「聞いたら動く」というセットで機能する。
「最初は怖かったです。自分への批判が出てきたらどうしようと思って。でも実際に読んでみると、ほとんどは業務の問題でした。むしろ職員が何に困っているかがわかって、ようやく仕事が始まった気がしました。知らなかったことが問題だったんです。」
離職率を下げた施設がやっていたこと②——「成長の可視化」
介護職員が「やりがいを感じにくい」理由の一つに、「自分が成長しているかどうかが見えない」という問題がある。ケアの質は数値化しにくく、毎日同じような業務の繰り返しに感じやすい。1年勤めても「自分はどれだけ成長したのか」が実感しにくい職種だ。
この施設が導入したのは「スキルカード」という仕組みだ。シンプルな1枚のシートに、介護技術・コミュニケーション・リーダーシップ・記録の質などの項目を並べ、3か月ごとに施設長と主任が評価し、本人にフィードバックする。
重要なのは「評価」そのものではなく、「3か月前の自分と比べてここが変わった」という変化の言語化だ。数字ではなくコメントで届ける。「Bさんは今月、新人に対してすごく丁寧に教えていた。3か月前はそれができていなかった。確実に成長している」——こういった言葉を、施設長が直接伝える。
この取り組みを始めてから、中堅層(勤続3〜7年)の離職が顕著に減った。中堅は採用コストが最もかかる層であり、かつ「成長の踊り場」に差し掛かる時期でもある。「ここにいても成長できない」という感覚が離職を引き起こしやすい。スキルカードはその感覚に直接対処した。
「評価」と「成長の言語化」は別物。評価は上下関係を生みやすいが、「3か月前との比較」は成長の証拠になる。職員に必要なのは点数ではなく「あなたは変わった」という事実の言葉だ。
スキルカードの副次効果として、「キャリアの見通し」が生まれた。「このスキルが上がれば主任になれる」「チームリーダーとしての役割を任せたい」という会話が自然に発生するようになった。キャリアの出口が見えない職場ほど、人は早く辞める。出口を示す——それだけで、在職期間は変わる。
離職率を下げた施設がやっていたこと③——「管理職の関わり方の変化」
3つ目は、最も地味で、最も効果が大きかった変化だ。施設長と主任が、「報告を受ける人」から「現場に降りていく人」に変わったことだ。
多くの施設では、管理職は事務室にいる。シフト管理・書類処理・会議——確かにやることは多い。しかし職員から見ると、「施設長は何もわかっていない」「自分たちの苦労を見ていない」という感覚が積み重なっていく。
この施設の施設長が始めたのは、「週に2〜3回、30分だけ現場に入る」というルールだ。介護補助として、実際にケアの一端を担う。利用者さんと話す。そのついでに、職員に一言二言かける。「最近どう?」でも「あの件、その後どうなった?」でもいい。
管理職が現場に「顔を出す」だけで、職員の心理状態は変わる。「自分たちが見られている」ではなく「自分たちと一緒にいる」という感覚が生まれる。これは研修でも制度でも作れない、関係性の質の問題だ。
さらにこの施設では、主任が「辞めそうな職員の予兆リスト」を感覚ではなく言語化するようにした。「最近挨拶が減った」「シフト変更の希望が増えた」「昼休みに一人でいることが多くなった」——こうした変化が見えたら、その週のうちに1対1の面談を設ける。退職の申し出が来てからでは遅い。
「辞める人って、言う前に必ずサインを出しているんです。気づいてもらえなかった、話を聞いてもらえなかった——そう言って辞めていく人を何人も見てきた。だから今は、変化に気づいたらすぐ声をかける。それだけで引き留められたケースが何件もあります。」
管理職の「関わり方の変化」は、本人の意識と時間の使い方を変えることを要求する。すぐに数字に出ないからこそ、継続が難しい。しかしこの施設では、取り組みを始めて9か月目から離職件数が明確に減り始めた。
今日から始められる最初の一手
ここまで3つの取り組みを紹介してきた。「規模が大きい施設でないとできない」「うちは人手不足でそこまで手が回らない」——そう思った方もいるかもしれない。しかし、どれも特別な予算も、外部コンサルも、新しいシステムも必要としない。
今日から始められることを、優先順位順に整理する。
- 今週の朝礼で「一言アンケート」を配布する(紙1枚・2問・匿名)
- 最近「変化」が見える職員に、今週中に1対1の時間を15分だけ設ける
- 来月から月1回、施設長が現場に30分入るスケジュールを今日カレンダーに入れる
この3つだけでいい。完璧な制度を設計しようとしないことが重要だ。最初から大きな変革を目指すと、継続できない。「小さく、速く、続ける」——これが定着対策の本質だ。
介護職員の定着率は、施設の「儲かり方」に直結する。1名の離職コストを採用費・引き継ぎコスト・業務品質低下まで含めると、軽く100万円を超える計算になる。離職率を13ポイント下げた施設が得たのは、職員の安心だけではない。経営上の損失が年間数百万円単位で消えた、という事実でもある。
職員40名・年間離職率22%の施設では年間8〜9名が離職する計算になる。採用コスト1名60万円として年間約540万円のコスト。これを9%まで下げると離職3〜4名・コスト約180〜240万円。年間300万円以上の削減効果になる計算だ。「定着対策は費用がかかる」ではなく「定着対策をしないことが最大のコストだ」という視点が重要になる。
まとめ——「人が辞めない施設」は、特別なことをしていない
今回紹介した3つの取り組みは、振り返ってみると極めてシンプルだ。
- 不満を聞いて、すぐ動く
- 成長を見える形で届ける
- 管理職が現場に降りていく
これらに共通するのは、「職員が見えている」という感覚を作ることだ。人は「自分が見えていない場所」から去っていく。処遇改善は必要だが、それだけでは足りない。
離職率22%から9%へ。数字の変化の裏には、毎週の朝礼で声を読み上げた施設長と、変化に気づいて声をかけ続けた主任の、地道な積み重ねがある。派手さはない。しかし、再現性がある。
今この記事を読んでいるHR担当者・施設長の方に伝えたいのは、「仕組みより先に関係がある」ということだ。どんなに優れた制度も、職員との信頼関係がなければ機能しない。逆に言えば、信頼関係さえ築けば、制度が不完全でも人は残る。
大手運送会社の現役管理職として10年以上、チームの採用・定着・育成に携わる。ShiftAIスクールにてAI×ライティングを習得後、物流・DX・HR系コンテンツを専門とするライターとして活動。現場の一次情報にこだわったBtoBコンテンツ制作を得意とする。本記事はクライアントシミュレーションとして作成。
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